広島かき


広島かきの歴史

広島湾では古くから天然のかきがとれ、人々は、岩や石についているかきを自由にとって食べていました。このことは、縄文時代や弥生時代の貝塚からかきの殻がでてくることからわかります。

注:弥生式貝塚:矢野、牛田、祇園などにあります。

人々は長い間天然のかきをとって食べていましたが、室町時代の終わり頃(天文年間:1532〜‘55年)に初めてかきの養殖が始まりました。このことは、大正13年に草津村役場が発行した草津案内に「天文年間、安芸国において養殖の法を発明せり」と書かれています。

しかし今となっては安芸国がどのあたりか、どのような養殖方法だったのかよくわかりません。もっともそのころのことですから原始的な方法で、生産量もわずかなものであったと思われます。

その後長い間、人々は良いかきをたくさん作るために、色々な工夫や努力を続けてきました。養殖方法を見ても、最初の石蒔き式養殖法や地蒔き式養殖法からひび建て養殖法へ、そして現在の垂下式養殖法(杭打ち式→筏式)へと大きく進歩し、それにつれて、生産量も飛躍的に伸びてきました。

石蒔式養殖法

干潟に小石を並べてかきを付着させ、成育を待って収穫する方法。

地蒔式養殖法

かきを干潟の砂の上に直接置いて、成育を待って収穫する方法。

ひび建て養殖法

竹や雑木を干がたに建て、かきを付着させ、成育を待って収穫する方法収穫までそのまま養殖する方法と、途中でかきを落して、地蒔き養殖を行ない収かくする方法があります。この養殖方法は、昭和の初めまで約300年間ほど行なわれました。

杭打垂下法(簡易垂下法)

干潟に高さ1.3〜1.4mの棚を作り、これに貝殻と竹の管を交互に通した連をぶらさげ、かきを付着させ、成育を待って収穫する方法。この方法は、昭和の始めごろから30年ごろまで行なわれました。

筏式垂下法

干がたの棚ではなく、筏にかきの種がついている貝殻と竹やビニールなどの管を交互に通した連をぶらさげ、成育を待って収穫する方法。昭和7年、広島県水産試験場によって初めてこの筏式垂下法が行なわれましたが、このころの筏は、杉やヒノキで組み立てた筏で、風や波に弱いという欠点があったためあまり普及しませんでした。昭和28年、孟宗竹で組み立てた筏で試験を行なった結果、風や波に強く、しかも制作費は安いことが分かり、竹による筏式垂下法は、急速に普及しました。これにより、漁場の沖合化を可能にし、漁場面積は拡大し、生産量も飛躍的に伸びてきました。